CLEAR COOLERシチリア産レモンサワー

まず初めに断っておくが、私が今飲んでいる、このお酒は美味しくない。

コンビニで安く買える程度のものだ。500ml入っている以外の利点がない。

 

ただ、なぜだか飲みたくなったので買った。たまにあるよね、そういうこと。例えるなら、絶対に臭いことがわかっている自分の靴下の匂いを嗅いでしまうようなものだろうか。

 

 

 

最近、私は人と話していない。もちろん、このお酒を買うためにレジを通したりはしたが、それは会話とは言えないと思う。どちらかというと、「手続き」だろうか。

 

「手続き」では、人の心は満たされない。何かしら自分に干渉してほしくて、また誰かに干渉したくて、人々は会話を行っている節がある。自分もその例外ではない。

 

会話が行われないと、人は病む。もちろん、これは精神的にという意味だ。精神的に病むと、人は弱い部分をさらけ出す。「助けて」だの「つらい」だのといった信号を出して、なんとか自分に干渉してもらおうとする。七日目の蝉が大きな声で鳴くように。(実際に七日目の蝉が大きな声で鳴いているかは知らない。事実を捻じ曲げた都合のいい比喩。比喩とも呼べない何か)

 

まあ、ここまで真面目に読んでいる人はなんとなく勘づいているとは思うのだが、私は今、病んでいる。まあこれは自己解釈なので、信じないと言われればそれまでなのだが、とりあえず自分はそう思っている。

 

話は変わるが、計画性って大事だと思う。何を当たり前のことを言ってんねんという意見は十二分に尊重したいが、まあ最後まで聞いてほしい。未来の予定に向けて段取りを組むという行為は人間にしかできない。「朝三暮四」という話がある。詳しい話をここでするのはめんどくさいので、知らない人は勝手に調べて欲しいのだが、要は猿には先見性がなくて、人間にはそれがあるという話だ。

 

この話が本当ならば、私は猿だ。先見性がない。今の都合で今を生きている。傍から見れば、それは気楽にも映るのだろうが、全然そんなことはない。むしろ辛くて苦しいことばかりだ。

 

なぜなら、何もできないからだ。何もやりたくないわけではないのに、何もできない。だから、何もしたくない体を装って生きている。

 

具体例を挙げよう。実は、明日というか日付では今日の夕方に東京であるイベントに当選した。ところが、私は夜行バスに乗らずに自室でこのブログを書いているし、明日の新幹線に乗るつもりも全くない。つまり、当たったイベントを「干す」わけだ。

 

本心から言えば、行きたくないわけではない。行けなければ死ぬというほどに本気だったわけではないけれど、まあ多少の興味があって応募する程度には行きたいのだろう。ただ、先の予定を決めることが出来ないので、夜行バスを取らなかった。そして高い金を払って新幹線に乗るか、行かないかという選択肢から、行かないという選択肢を選んだ。そして後悔している。はよ夜行バスとっとけや、と。

 

あほらしい。というのが大方の感想だろう。自分でもそう思う。そう思うなら夜行バスとっとけやとも思うし、多少の金銭を惜しまずに、新幹線に乗ればいいのにとも思う。でも、それができない。やりたくないというのではなく、ただ単純にできないのだ

 

向いてないなぁ。さっさと人生に幕を下ろしたい。ただ、生命活動を止める方法も知らないし、その計画を立てるなんて先述のものよりもめんどくさくてばからしい。だからしばらくはやらない。ただ、その場の思い付きで簡単に実行できるその時が来るようなことがあれば、まあやってもおかしくない。その時は自室にある積んだCDを私の両親にばれないように適当に分配してほしい。これは遺言なんていうほどたいそうなものではなく、戯言。

 

いい感じに病んでいるので、ssを書きます。アルコールが入っているので変な文章を書くと言った方が的確かもしれないけど。

 

おわり