「”可愛い” より ”比喩” がいい」のはなぜなのか―「ギブミーメタファー」から見るSTAR ELEMENTS―

百万年ぶりに記事を書きます。というのも、継続というものが極めて苦手なので、何かしらの強い動機がないと何をすることもできないんですよね。以前までの記事は大抵がサークルのアドベントカレンダー用だったと記憶しているのですが、今回は己の内から湧き上がる衝動によって今ここに文字を打ち込んでいます。

 

で、その衝動の話をするんですけど、皆さんは「THE IDOLM@STER MILLION THE@TER GENERATION 17」に収録されている、「STAR ELEMENTS」の三人が歌っている「ギブミーメタファー」という曲はもう聞きましたか? いい曲なのでまだ聞いてない人は今すぐ聞きましょう。配信なら250円で買えます。

 

で、その「ギブミーメタファー」のCメロの歌詞に「”可愛い” より ”比喩” がいい」っていうフレーズがあるんですよ。自分が初めてこの歌詞を聞いたのはミリオン6th 神戸公演だったわけなんですが、曲途中に突然前述の言葉が流れてきて、一瞬「聞き違いかな?」と思ったわけです。だって意味が分からないですよね。まず形容詞と名詞を単純比較してる時点でわけわからんし、それでいて文意が神の領域にあるので地上人たる自分に汲み取れる代物でもないわけです。多分ですけど、多くの人が同じ場所でそう感じて、「わけわかんねぇ~」って笑っていたと思います。私は笑っていました。

 

ですが、あれから二週間以上が立ち、CDが発売され、ドラマパートも公開された今、前述の歌詞の真意の断片をようやく掴みかけてきたので、ここに記して自己満足に陥ろうと思います。

 

つまり、この記事はMTG17のネタバレです。まだ聞いていない人は今すぐブラウザを閉じてCDを買いに行ってください。ついさっき「配信版でもいいよ」みたいな話をしましたが、それでは不十分です。ちゃんとドラマパートも聞いてください。

 

ネタバレ注意のアレもちゃんとやったので早速本題に入ります

 

 

1.「ギブミーメタファー」

 

まず、このタイトルですね。英語に戻せば「Give me metaphor」、日本語では「比喩が欲しい」ぐらいのニュアンスでしょうか。正確にはメタファーは「隠喩」というアレなのですが、結局比喩なのでこう解釈します。

何も知らない人が「比喩が欲しい」と言われると、どんな反応をするでしょうか。まあ当然、初手で驚いて、そこから間髪入れずに「何言ってんだこいつ」となるでしょう。具体例が神戸公演での私です。

 

では、なぜそんなフレーズがタイトルに用いられているのか、これは「ギブミーメタファー」の他の部分の歌詞を一読すればなんとなくわかることだと思うのですが、アイドルである三人がステージ上で自分を表現するにあたって、「比喩(隠喩)」が必要だと考えているからでしょう。

(これは余談ですが、一番サビ終わりの「百パーセント希望だって 世界照らすスターだって 呼ばれていたいの」という歌詞から、この曲は三人がアイドルになった後の曲だと解釈しています)

そもそもサビ頭で「涙は最高のジュエル 経験は今日のファンデーション」と隠喩ごりごりなのを見て、比喩がテーマなんだと気づかない方が難しいですよね。

で、Cメロ終わりで「粗削りのエレメンツ どこまでだって 想像を纏えるはず」と言っているわけですから、彼女達は自分のありのままの姿だけじゃない何か(想像)をステージで表現したいと考えていることが読み取れます。

 

しかし、これは昨今のアイドル像とは少しずれているような気がします。地下アイドルとか、ご当地アイドルとか、最近では様々なアイドルが登場し、その結果としてアイドルという存在が身近に感じられているような気がします。その中で「STAR ELEMENTS」の三人はある種自分たちを周囲から遠ざけるような、他のアイドルとは一線を画すような存在を目指すようなグループを目指しているわけです。デレアニの「346ブランドの確立」みたいなやつです。

そこにはある秘密があったのです(ここでCMが流れる)

 

 

2.STAR ELEMENTS

 

今からその理由を解き明かしていくわけですが、当然これは一視聴者の解釈にすぎません。これが正解なわけではないし、これ以外が不正解というわけでもないです。なんかこういう言葉を残しておかないといけないという強迫観念があるので書きました。

 

まず、この話を考えるうえで、「STAR ELEMENTS」の三人を知らなくてはいけません。当然この「知る」というのは「名前とかプロフィールが分かる」ではなくて、「人物像やものの考え方が掴める」というやつです。でもそんなことは当然無理なので、各々で適当に脚色して補ってください。二次創作によくある手法です。

 

さて、みなさんの脳内に天羽光駆・神崎水桜・草薙星蘭の三人がスタンバイしたところで、いよいよ比喩の謎に立ち向かっていきましょう。

 

ヒントは「”可愛い” より ”比喩” がいい」の後ろに続く歌詞「未完成なままでだって そう、夢を見せられるってことでしょ?」です。

 

そうなんです。未完成なんです。

 

ここで、「いや、当たり前やん」となってしまっては困るんです。前提条件として、ステージ上でのパフォーマンスは完璧で完成されたものでなくてはならない、みたいな考え方があると思います。それはプロとしてはある種当然の心構えで、そのために日々の努力は欠かせないわけです。

しかしこの三人は自分たちが未完成であることを受け入れてしまっている。それでもなお「百パーセント希望だって 世界照らすスターだって 呼ばれていたいの」と考えている。

 

つまり、三人にとっては「比喩は武器」なのです。ステージ上で戦うのに必要な道具なのです。だから「涙は最高のジュエル」だし「経験は今日のファンデーション」だし「可笑しいくらいの言葉で例えて 飾り付けてくれるたび 元気のドレス脱げないって思ってしまう(歌詞一部改変)」わけです。(この後の「ハグミーメタファー」って言い回しが天才だと思うっていう話がある)

 

ただ、ここまでは思いめぐらせればなんとなくわかることだと思います。「こいつら比喩大好き人間やな」と一蹴していた人も多いと思います。でも、これではまだ正解に辿り着けていません

 

なぜなら、「”可愛い” より ”比喩” がいい」のです。この比較表現に辿り着くためには、二次創作特有の脚色と憶測が必要です。なのでそれをやります。覚悟しておいてください。

 

 

3.ライバル

 

アイドルになった天羽光駆・神崎水桜・草薙星蘭の三人は、互いのことを「ライバル」だと認識しながらユニット「STAR ELEMENTS」として活動しています。

 

ところでライバルってよく「好敵手」って書かれるじゃないですか。つまりは「敵として好ましい相手」って意味なんでしょうけど、あれって相手を認めているからこそ「好ましい」んですよね

もちろんSTAR ELEMENTSの三人も互いが互いのことを認めていると思うんですけど(ドラマパートの最終選考の光駆の心情描写が一番わかりやすいかも)、相手を認めるって何なんですかね。

例えばクラスにサッカーがめちゃくちゃうまいやつがいて、自分もそこそこうまいけどあいつには敵わねえやって思ったとき、「認める」っていう感情になると思うんですけど、それって敗北を味わうのと状況としては同じじゃないですか?

もちろんそうじゃないパターンで相手を認める、あるいは一目置くっていうのは無数にあると思うんですけど、少なくともSTAR ELEMENTSのうちの2人の中にあるのは「敗北」だと思うんですよ。

 

多分一番わかりやすいのは神崎水桜の話で、彼女は前回の「アイドルニューウェーブ」にも参加しているんですよね。で、そこで確実に「ミツルギマヤ」と何かがあって結局彼女に負けている。その何かは明かされていないわけですが、少なくとも過去の水桜の純粋な心を打ち砕いた出来事はあったわけで、そのせいで彼女は「裏の顔」を持ち合わせてしまった。そして今回のオーディションでも、光駆と星蘭がダンス審査で輝きを放つ姿に焦って事を起こしてしまったわけじゃないですか。そういう敗北です。BCの可奈の初期評価に引っ張られてしまった結果、水桜は才能という面で負けた、そんな風に考えています。

 

じゃあ草薙星蘭はどこで負けたのか。これこそ脚色の塊なのですが、草薙家は芸術分野で多くの天才を輩出しているそうです。クラシックの演奏家とかオペラ歌手とか......そんな家の人間が、突然「アイドルになりたい」と言いだしたんです。裏があるとしか思えなくないですか?(ここ、スーパー二次創作ポイントなので全人類の解釈を見たい)

 

私が思うに、草薙星蘭はあまりそう言った分野の才能に恵まれなかったのだと思います。家柄がどうとはいえ、遺伝情報はそうあてにならないもので、かえるの子がかえるになるかと言えばそうでもないのが実情です。それは上振れもするし、下振れもする。その下振れにいるのが星蘭なんです。幼いころから期待を捨てられていた星蘭は、「クラシックが無理ならせめて」みたいな感じでアイドルへの道を進まされている。そう考えています。家柄を汚すような子に生まれてしまった自分に与えられた最後のチャンスがアイドルだった。そんな追い詰められた状況の彼女だからこそ、覚悟は尋常じゃなかった。ドラマパート内での彼女の台詞にはこんな裏があったのではないかなと考えます。ジャケット絵の表情とかこう考えてから見ると凄いですよ。ぜひ考えてみてください。

この辺はいつかssに書きたいと思っている部分なのであまり多くは語りませんが、草薙星蘭はそういう人間であってほしいと思っています。

 

上記の2人が「敗北を味わった」側で、天羽光駆だけがそうではありません。ですが、彼女は始めから二人のことを認めています。これが前述した「負けなくても認められる」パターンです。すごく、人間が出来ていると思います。これは担当補正マシマシです。対戦よろしくお願いします。

 

かといって、天羽光駆が負けていないわけではありません。彼女は「認めたから負けた」んです。負けたという表現が分かりにくけれれば、「劣等感を抱いた」と置き換えてください。そうすればわかると思います。ドラマパートのグランプリ発表後の光駆の心情描写でわかってください。わからなかったら諦めてください。自分の言語センスがなさ過ぎてここをどう伝えていいものか分かりません。ssなら書けるかもしれません。多分書くんだろうなぁと思っているので楽しみにしなくていいです。見かけたら冷やかしに呼んでくれると嬉しいです。

 

これで、三人が互いに対して劣等感を抱いているということが分かったという前提で話を進めることが出来ます。はい、出来るんです。

この三人が劣等感を抱いて、果たしてそのままそれを飲み込んではい終わり、なんてことがあるんでしょうか。まあ、そんなわけはなくて、そこに立ち向かおうとするのがSTAR ELEMENTSの三人ではないでしょうか? というわけで戦うんですけど、武器がない。じゃあどうするか。それはもちろんそれを手に入れるために努力するしかありません。

 

ここで「”可愛い” より ”比喩” がいい」の話です。

 

今、彼女達が手に入れられる武器はどちらでしょうか?

 

それはもちろん「比喩」の方しかありません。そして、「比喩」の方しか必要ないのです。

 

彼女達が今求めているのは、「可愛さ」とか「綺麗さ」とかそういう外的要素ではないのです。自分が抱いている劣等感を埋めてくれるような、「自信」とか「勇気」とか、そういう類の武器なのではないでしょうか? 

 

それを裏付けるように、歌詞の中には「元気のドレス」とか「瞬きの間に心を決めたよ」とかそういう言葉が用いられています。そして、二番Bメロ終わりの「一途な視線の君が そこにいるから」という歌詞、これは自分以外の2人のSTAR ELEMENTSのメンバーを指しています。なんなら一番の方の「君」もそうです。

この歌に、STAR ELEMENTS以外の人間は登場していません。これに気づけると、更にこの三人が好きになります。なりましょう。

 

話を戻すと、「一途な視線の君が そこにいるから」と言う歌詞は、他の2人の表情を見て自分を鼓舞する姿が描かれており、まさに「セッサタクマ」なんです!!!!(爆発)

 

 

4.まとめ

 

ここまで、「”可愛い” より ”比喩” がいい」を餌にしてSTAR ELEMENTS の話をしてきましたが、どうだったでしょうか? 言語野が普通の人間の15%しかないのでつたない文章だったと思いますが許してください。大体のニュアンスでも伝わっていれば嬉しいです。

是非、皆さんも今一度この三人の関係を考え、妄想のエサにしてみてください。

ラーコモなんもないやん

「お前は、生きたいと思ったことはあるか?」

彼の問いかけに、私は無言を返した。

「いやいや、そんな大層な話じゃないんだ。ただ少し気になってさ」

「その文言を並べておいて、『大層じゃない』ってことはないだろう」

夕刻の河川敷、目の前の河原では小学生らしき男児が石を投げて遊んでいる。私と彼の後ろを、両手にスーパーの袋を三つ四つ下げた主婦らしき女性の自転車が通り過ぎていく。そんな場で生死を話題に挙げる彼の思惑を知ることなんて到底不可能だろう。

「軽く考えてくれよ。例えば、そうだなぁ......お前が、山で遭難したとしよう」

「俺は山になんて行かないよ」

「じゃあ、川で溺れるでもいいよ。とにかく、何らかのことが原因で不本意にも生命の危機に立たされる瞬間が来たとする。その時、たいていの人は自分が生存するという道を探し続けるらしい。まあ俺はそんな状況になったことがないからわからないけど」

「当然じゃないか。誰だって、何の抵抗もなく死ぬ運命を受け入れるはずはない」

その返答を待っていたように、彼は口元を緩めた。

「そう、そこなんだよ」

「死ぬ運命を受け入れないってことは『生きたい』という願望が芽生えたってことだろ」

「何が言いたい?」

「その時に人は考えないのかなって思ってさ」

「何をだよ」

「生きた先に待っている絶望だよ」

彼の尤もらしい口調とは対照的に、私はいまいち彼の言っていることを飲み込めないでいた。

「絶望?」

「そう、絶望だな」

「今のおまえにもあるだろう。生きている中で嫌に思う瞬間ってやつが」

その言葉に呼応するように、私の脳内に蓄積されていた普段の私の感情が呼び起こされる。先の見えない生活に、減るだけで一向に増えない口座残高。友人関係に潜むしがらみに忘れ去っていたはずの過去のトラウマ。

「それを抱いているお前が、今仮にさっきみたいな状況になったとして、それでもなお『生きたい』と思えたら、それはすごいことだと思うんだ」

彼の言う「すごい」には、称賛以外の何かが含まれていることは明白だった。皮肉だけかもしれないし、もしかしたらそれ以上のものかもしれない。

「片足を亡くした俺には、絶対に思えないことだからな」

彼はそう言い放って、顔を上げた。茜色の空に浮かぶ黒い雲、その脇をかすめるように、数羽のカラスが飛んでいた。

「別に、生きたくなくてもいいんじゃないか?」

求められていないとは知りつつも、抑えることもせずに心の声をこぼした。

「残念ながら、俺は『生きたい』と思って今ここにいるわけじゃない。どうせ、お前も、あの子供だってそう思っているわけじゃないんだ」

「ただ、流れに逆らうだけの理由がないんだよ」

「坂道を転がり落ちていく自転車には必死でしがみつくもんなんだよ。例えそれがオンボロの自転車でも、その先に崖があっても」

「その自転車を失った瞬間、本当に人は死んでしまうんだ」

「自転車が壊れたらどうするんだ」

「その時は、ソリにでも乗ればいいよ。そっちの方が案外乗り心地がいいのかもしれないな」

「そうまでして坂道を下って、何になるんだ? 坂道の下に何があるわけでもないだろう?」

「そうだな、何もないよ」

「じゃあ行かなくていいじゃねえか。そんなところ。俺は坂道の途中で自転車から手を離すよ」

「それもいい考えだな。ただ、その考えには一つだけ言いたいことがある」

「なんだ?」

「お前が持っている自転車は、手放すには惜しい代物かもしれないってことだ」

気がつけば、河原で遊んでいた子供はどこかに行ってしまったようで、河川敷には私たち二人以外には誰もいないらしい。私はズボンについた土草を掃いながら腰を上げた。

「そろそろ晩飯の時間だな。どこに行こうか?」

「鍋にしよう。今日は冷える」

「そうだな」

私は彼の車いすを押して歩き出す。下流の方角へと車輪は回り始めた。

ほろよい 香るあんず

うん、おいしい。

まず、「あんず」っていうのがいいよね。まあそれだけなんですけど。

 

久しぶりに更新しますが、どうして期間が空いたのかと言えば、理由はいくつかありますが、一番大きな理由はミリシタのイベントですかね。みらせり、かわいい。なんで?

 

あとはまあ、普通に時間がなかったっていうのもあるんですかね。新学期って何かと忙しいものですよね。ってことにしといてください。

 

で、まあ時間もあるし都合よくパソコンに向かっているしブログでも書くかーってな感じで書き始めたわけですが、正直なところ、書く内容を何一つ思いついていません。絵にかいたような「見切り発車」というやつです。よろしくお願いします。

 

唐突ですが、うまくいかないことって多いですよね。自分の思った通りに事が進むなんてことはまあなくて、どこかで齟齬が生じてそれをすり合わせて時間が過ぎる、ってこと、多くないですか? 今日までにやろうと思っていたことは終わらないし、明日からやろうと思っていたことは始まらないし。なんで? という感じ。

 

その代わりに、どうでもいいことはどんどん進んでいくんですよね。妄想とか夢とかはその類だと思っているのですが、果てしなく広がりますよね、あれ。すげー。

 

何が言いたいかという風に思われるでしょう。俺もそう思う。何言ってんのこいつ。せめてつながりのある日本語を羅列したらどうなん? と思う。ほろよいを飲んでいるから許してほしい。

 

で、書くことに行き詰まったので麻雀を見てたんですけど、面白いですよね、これ。素人感想で恐縮ですが、面白いんですよ。だからと言って、ここで自身のつたない麻雀論を展開するのはまた別の機会にさせてください。気が向いたらやります。

 

で、思ったんですけど、後期の910の麻雀大会の参加者、9人なんですよね。どうやってチーム分けしましょうかね。なかなか難しい。始まれば楽しいと思うけど。

 

ゆくゆくは、競技麻雀的なものにも手を出せるぐらいになりたいと心の片隅の片隅で思っています。なら真面目にやれという話。

 

麻雀の誘いなら予定がなければぜひ行きたいと大体いつでも思っているのでよろしくお願いしますという話でした。

 

原稿作成に戻ります。がんばろー

カレー

今日の晩御飯です。飲んでません。

 

人間、何かに光を見出す瞬間ってあると思うんですよ。身近なところだと「おっ、遅刻やと思ってたけどワンチャン間に合うんじゃね?」とか「このコンテンツは伸びるなー」とかそういうのです。そういうのに出会うと、楽しいですよね。楽しいというか、気分が高揚するというか。

 

結論から言えば、最近そういうものに出会ったということなんですね。だから楽しい。単純。

 

後期、頑張ろうかな。という気持ちです。あ、もちろん単位の方じゃないです。そう思っていた方がもしいたら罵ります。「ばーか、んなわけないやろ」

 

何かを始めようとしたとき、人の頭に浮かぶのは曇りのない理想だけです。願望や期待なんかで形作られた幻想に夢を抱くのです。そして、やがてそれは造られた偽物だということに気付きます。そんな現実は甘くないし、そんなに自分という人間がすごくないという事実に直面するんですよね、たいてい。(もし自分はすごすぎるので何らかの壁に直面したことはないという人がいたら顔だけ拝んで帰ります)とまあ、何が言いたいかというと、山があれば谷があってしかるべきで、楽の後には苦があって、昼の後には夜が来るんです。道理。

 

避けたくても避けられないので、この被害を最小限にしたいなぁと思うわけです。じゃあどうするか、これは単純で、現実をなるべく早くに見に行かなければならないと思うんですよ。

 

山の上から見た景色は、どの街だってまあそこそこの見栄えがするものでしょう。ビルが立ち並んでいたり、街の先に広がる海だって美しく見えているのかもしれない。ただ、実際に山を下りてみれば、その街に広がっているのはどうしようもないごみ溜めのような光景かもしれないし、思い描いていた理想に近い楽園の場合ももしかしたらあるのかもしれない。ただそれは近づいてみないとわからない。

 

じゃあ、山を下りる途中にも気を配らないといけないのではないかと。近づくと見えてくるその街の本質を見定めることはできるのではないかと。やるかやらないかは別にして。

 

何の話やねん、となっている人がほとんどでしょう。俺もそう思う。ただ一つ言いたいのは、自分はある程度の期待を持っているということです。それが何であれ、期待を持たないのに飛び込んでいくわけはないでしょう。

 

未来の自分の健闘を祈ります。

 

 

 

麻薬に負けないで欲しい。

友達の家の水道水

飲み物の名前をタイトルに縛り付けるやつ、ネタ切れしそう。

 

なんなら友達の家にいるだけで水道水は飲んでないし、すでにネタ切れしていると言っても過言ではない

 

なんならブログの方もネタ切れしている。暇すぎて「テストプレイなんてしてないよ」のカードの向きをすべてそろえる程度には暇。暇であっていいのかは知らない。少なくとも履修登録の準備は何一つしていない。ゴミ

 

ネタがなさ過ぎて、この行間で麻雀を一半荘打ってしまった。よくわからない。

 

最近、真面目に打つようにしている。これは文字通り、前までは真面目に打っていないことがあったということである。人間の屑め。

 

なんか気分が乗らない時に適当にやる。それでその場を乗り切ったような気になる。足して楽しくもないし充実感もない。何のためにやってんねんという感じ。周りに申し訳が立たないね。

 

まあ何がアレって、最近それをやめるようにしている。するとすごく楽しい。まあエンジョイ勢となっている。初心に帰っている感じ。

 

何かに行き詰まったら、いったんすべてリセットする、大事だよね。

 

 

私の好きな言葉は「原点回帰」です

CLEAR COOLERシチリア産レモンサワー

まず初めに断っておくが、私が今飲んでいる、このお酒は美味しくない。

コンビニで安く買える程度のものだ。500ml入っている以外の利点がない。

 

ただ、なぜだか飲みたくなったので買った。たまにあるよね、そういうこと。例えるなら、絶対に臭いことがわかっている自分の靴下の匂いを嗅いでしまうようなものだろうか。

 

 

 

最近、私は人と話していない。もちろん、このお酒を買うためにレジを通したりはしたが、それは会話とは言えないと思う。どちらかというと、「手続き」だろうか。

 

「手続き」では、人の心は満たされない。何かしら自分に干渉してほしくて、また誰かに干渉したくて、人々は会話を行っている節がある。自分もその例外ではない。

 

会話が行われないと、人は病む。もちろん、これは精神的にという意味だ。精神的に病むと、人は弱い部分をさらけ出す。「助けて」だの「つらい」だのといった信号を出して、なんとか自分に干渉してもらおうとする。七日目の蝉が大きな声で鳴くように。(実際に七日目の蝉が大きな声で鳴いているかは知らない。事実を捻じ曲げた都合のいい比喩。比喩とも呼べない何か)

 

まあ、ここまで真面目に読んでいる人はなんとなく勘づいているとは思うのだが、私は今、病んでいる。まあこれは自己解釈なので、信じないと言われればそれまでなのだが、とりあえず自分はそう思っている。

 

話は変わるが、計画性って大事だと思う。何を当たり前のことを言ってんねんという意見は十二分に尊重したいが、まあ最後まで聞いてほしい。未来の予定に向けて段取りを組むという行為は人間にしかできない。「朝三暮四」という話がある。詳しい話をここでするのはめんどくさいので、知らない人は勝手に調べて欲しいのだが、要は猿には先見性がなくて、人間にはそれがあるという話だ。

 

この話が本当ならば、私は猿だ。先見性がない。今の都合で今を生きている。傍から見れば、それは気楽にも映るのだろうが、全然そんなことはない。むしろ辛くて苦しいことばかりだ。

 

なぜなら、何もできないからだ。何もやりたくないわけではないのに、何もできない。だから、何もしたくない体を装って生きている。

 

具体例を挙げよう。実は、明日というか日付では今日の夕方に東京であるイベントに当選した。ところが、私は夜行バスに乗らずに自室でこのブログを書いているし、明日の新幹線に乗るつもりも全くない。つまり、当たったイベントを「干す」わけだ。

 

本心から言えば、行きたくないわけではない。行けなければ死ぬというほどに本気だったわけではないけれど、まあ多少の興味があって応募する程度には行きたいのだろう。ただ、先の予定を決めることが出来ないので、夜行バスを取らなかった。そして高い金を払って新幹線に乗るか、行かないかという選択肢から、行かないという選択肢を選んだ。そして後悔している。はよ夜行バスとっとけや、と。

 

あほらしい。というのが大方の感想だろう。自分でもそう思う。そう思うなら夜行バスとっとけやとも思うし、多少の金銭を惜しまずに、新幹線に乗ればいいのにとも思う。でも、それができない。やりたくないというのではなく、ただ単純にできないのだ

 

向いてないなぁ。さっさと人生に幕を下ろしたい。ただ、生命活動を止める方法も知らないし、その計画を立てるなんて先述のものよりもめんどくさくてばからしい。だからしばらくはやらない。ただ、その場の思い付きで簡単に実行できるその時が来るようなことがあれば、まあやってもおかしくない。その時は自室にある積んだCDを私の両親にばれないように適当に分配してほしい。これは遺言なんていうほどたいそうなものではなく、戯言。

 

いい感じに病んでいるので、ssを書きます。アルコールが入っているので変な文章を書くと言った方が的確かもしれないけど。

 

おわり

ほろよい 手摘みりんご

まだ、この週末の日曜日にある、ごちうさのイベントに行くための夜行バスを取っていません。こいつ何考えてんねん。危機感を持てよ。

 

最近、苦手なものが増えた。厳密には、「これは苦手」という認識をするものが増えてしまった。

 

その1 選民思想

逆に得意な人がいるのか聞きたいレベル。「私は選民思想を持っています。私こそが選ばれしなんたらかんたら」みたいなやつ。ユダヤ人なら三億万歩譲ってまあ好きにしろってレベルやけど、近くにそんな奴がいたら天井に突き刺してしまう。そして都合の悪いことに、最近そういう奴が増えているような気がする。(これは罠で、自分の視野が広がってしまったので、見たくないものまで見えてしまっている)まあ、苦手。

【具体例】あいますぺー

 

その2 自己顕示欲の権化

頼むから本当にやめて欲しい。自己顕示欲を持つなとは微塵も思わんし、そういう欲求を出すことも必要やっていうのは理解しているつもりやけど、権化になる必要はないやろと。自己中心的って言葉、小中学校時代に流行りましたよね。あれってこじらせるとこうなるんやろなぁ、みたいに思っています。楽しそうですよね、自分だけが。

【具体例】奇声

 

その3 ダイマ(コンテンツとかキャラとか)

見るのも嫌い。やるのも嫌い。吐き気を催してしまう。

ダイマって基本的に逆効果ですよね。あえて言葉を悪くすると、「無理やりに自分の好みを他者に押し付けて賛同をもぎ取る」行為です。その自覚がない人は今一度自分の行動を顧みてください。その結果、やっぱりダイマ好きが揺るがなければ私はあきらめて縁を切ります。(過言)

【具体例】なし

 

その4 原稿の進捗を生めないやつ

まあ、何してんの? という感じ。一日という暇を無駄にしている。文字に書くかどうかはさておいて、考えるぐらいはしろよ。九月のやつとか締切あるんちゃうん? 息してる?

【具体例】@omasuke_anzu

 

おわり